最近の、新聞やテレビなど(ラジオはあまり聴かないので)の報道が気になります。
- 何か事件が起きると、どこの局や新聞社も同じように関係者の怪しそうな人を見つけてあたかも当事者(主犯格)のごとく報道したり
- 一国の宰相が漢字を読めなかったことをこぞって取り上げてみたり
- 感染症が流行すると、そのインパクトの大きさを助長しかねないほどにWHOがいつパンデミック警戒レベルを引き上げるのかを今か今かと報じてみたり
どこの局や新聞社が偏っている...というのではなく、むしろどこも同じ話題を取り上げていて、チャンネルを変えても時間差でまた同じ話題の同じトピックが報じられている。
全然、多様化していない。
テレビのチャンネルもCS放送が始まった辺りから増えたものの、娯楽志向は高まったけれどもニュースソースとしてのそれが増えたようには感じられない。
いやね、大半の人の興味がそれらにあることはわかりますよ。
でもなんかね、極端な言い方になっちゃいますけど、既存のメディアが足並み揃えて同じことばかり報じて、それを繰り返し聞かされちゃっていると、「報道を見聞き」しているんじゃなくて結果的な「洗脳を受けてる」んじゃないか?っていう気にさえなっちゃうんですよね。
直接的なものでなくても、副次的な被害、例えば小室哲哉氏による楽曲著作権詐欺事件の被害者も、「本来発言したことの意味を取り違えられる」報道をされ、それが元になってネットで名前やその他の個人情報を調べられ、意味を取り違えて租借された発言についてネットで叩かれた...ということが起きていたりしたようです。
同じ話題を取り上げる時だって様々な視点や切り口があっていいはずだし、よっぽど言ってしまえばスポーツ新聞で言うところのデイリースポーツや東スポ(東京スポーツ)、テレビで言えばちょっと前のテレ東(テレビ東京)みたいな、世間の大半の関心事には「我、関せず」で独自の話題を取り上げる媒体がもっと増えてもいいんじゃないかと。
ただ、そんなこと言ったって財団やNPOでない限りは利益を上げて行かなきゃならない企業な訳だからどうしても大勢が興味あるものを取り上げざるを得ない。
だったら、そんな報道や伝言ゲームによる誤解を生まないようにするためにも、それらに頼る(=プレス向けに発表文を書いて報じてもらう)のではなく、企業のメッセージや個人の意見・考えをハッキリ示すために、
- 企業自身が言いたいことを書いて、その情報を知りたいと思う人に直接発信するニュースリリース
や、
- 個人のブログ
のような「新しいメディアとなるツール」が必要だし、時代の流れに沿って生まれてきたのは必然だし(生まれるまでの努力は計り知れないものがありますが)、そこに情報の本質が生まれるんじゃないかと思います。
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